心の栄養 心の栄養 2021年06月28日
『母2021』
──子どもの生きる力を育てる「子育ての人間学」
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人は、何のために生まれ、
何のために生きるのでしょうか。
日常の生活や仕事に追われる中では、
考えもしないようなことかもしれません。
しかし、私たちは、
生命の誕生とその終焉に触れる時に、
「人生いかに生きるべきか」という問いと、
真に向き合うことができるように感じます。
そして、
「自分は何のために生きるのか」という
人生のテーマが明確になった人ほど、
逞しくおおらかに人生を
生きているように思います。
先日、とても身近な先輩母が、
三十六歳の若さで亡くなりました。
乳がんでした。
彼女は七年前、幸せ絶頂の結婚式から四か月後、
妊婦検診中にがんが見つかりました。
医師から
「自分の命と赤ちゃんの命、
どちらを選ぶかと言っても過言ではありません」と
厳しい決断を迫られる中で
命懸けで産むことを選び、
妊娠六か月の時に手術、そして出産。
その後七年間、
一進一退の闘病生活を、
子育てをしながら前向きに取り組んでいましたが、
一人息子の小学校入学式の前日に体調が急変。
その一か月後、息を引き取りました。
数日前は自らの足で歩いていた彼女が、
次第に起き上がることができなくなり、
会話ができなくなり、
意識が遠のいていく……
それでも亡くなる数時間前、
見舞いに行った私たちに、
声にならない声で「ありがとう」と
必死に何度も伝えてくれたのでした。
彼女の姿を見ながら感じたのは、
当たり前の日常が
どれだけありがたいことか、ということ。
そして、私たち人間は生かされているんだ。
呼吸ができている、
心臓が動いていることは
決して当たり前ではないんだ、ということです。
起き上がることができなくなった彼女は、
愛する息子の学校生活の世話をすることも
一緒に遊ぶことも、
家族のために料理をつくってあげることも
できなくなりました。
最後は、次第に会話も
できなくなっていくその姿を見て、
当たり前の日常がどれだけありがたいことか。
「普通に生活ができる」ということが、
いかに普通でなく「有り難い」ことなのか。
本当に大切なことを教えてもらいました。
人生に同じ毎日なんて一日もないし、
同じ日常は続かない。
一日一日が特別で、
一日一日がありがたい。
起き上がって空を見上げることも、
会話をすることも、
命があるからこそできること。
綺麗な空を子どもと見上げて
「綺麗だね」と言えることがどんなに幸せか。
たわいもない会話を家族でできることが
どんなに幸せなことか。
子どもが笑っていまここにいてくれることが、
どんなに幸せなことなのか。
彼女は身をもってそのことを
教えてくれたように感じます。
私が生きるきょうという日常は、
彼女がどんなに願っても
生きられなかった未来なのだ……。
そう気づいたとき、
ある言葉が胸に去来しました。
「悟りとは、
失って初めて気づくものの価値を、
失う前に気づくこと」
この『母』の母体である
月刊誌『致知』に掲載されていた言葉です。
彼女は、命を賭して私たちに
悟りを与えようとしてくれたのかもしれません。
「過去にも未来にも
たった一つしかないこの尊い命を
どう生きるのか」、
それを学ぶのが人間学です。
しかし、人生をどう生きればいいのかという、
人間にとって一番大事なことを、
学校では学べません。
自分という人生をどのように生きればよいのか。
自分がこの世に生まれてきた意味は何か。
きっと人生一度はぶつかる悩みではないでしょうか。
「どう生きるのか」、
その答えはすぐには出ないかもしれません。
それでも、命の尊さ、
ありがたさに気づくことで、
人間は心豊かに、
そして力強く人生を生きることができます。
大きく時代が揺れ動き、
先行きが見えないいまの時代。
子どもたちが生きる未来は、
私たちが経験したことがないような
世界を生きることになるでしょう。
そんな未来を、
力強く心豊かに人
生を生き抜くための学びが「人間学」です。
その学びを、子どもたちに手渡すために、
『致知』のエッセンスを
子育て中のお母さんたちにお届けしたい。
そうすればきっと、お母さん自身も、
明日を生きる希望や勇気、
人生の軸を得て、
より幸せで心豊かに
子育て人生を歩んでいけるのではないか……。
そんな思いを込めて創刊された『致知別冊「母」』。
人間学は、生きる力を育てる学びです。
より幸せで心豊かに人生を生きる
お母さんと子どもたちのために、
祈りを込めて、
『致知別冊「母」2021――
子どもの生きる力を育てる「子育ての人間学」』
ここに発刊いたします。
令和三年六月吉日
『母』編集長 藤尾 佳子
今日も一日
素晴らしい笑顔で幸せを